今では当たり前のようにあるインスタントラーメン。
現在の社長・安藤徳隆さんは若くして日清食品の社長に就任しましたが、社員からは大反対された商品が大ヒットすることになります。
そんな安藤徳隆さんは社員からの評判が最悪だったそうです。
大学時代はラクロスをしておりスポーツマンであり、代表選手に選ばれるほどの実力者。
スポーツにも本気で向き合ってきた安藤徳隆さんの経営人生が衝撃でした。
今回は日清食品の社長・安藤徳隆さんの大学時代、大ヒット商品誕生に至るまでの経歴についてお伝えします。
目次
安藤徳隆の経歴まとめ!

- 名前:安藤 徳隆(のりたか)
- 生年月日:1997年6月8日
- 出身地:大阪府池田市
- 学歴:慶應義塾大学大学院理工学研究科
【経歴】
2004年6月 安藤スポーツ・食文化振興財団 常務理事就任
2008年1月 日清食品入社
2008年10月 日清食品株式会社営業本部営業企画部次長
2009年3月 執行役員に就任・日清食品有限公司社長に就任
2009年10月 当社中国総代表に就任
2014年3月 日清湖池屋(中国・香港)有限公司董事 兼 総経理
2014年6月 取締役に就任・日清食品有限公司社長・日清湖池屋(中国・香港)有限公司董事 兼 総経理
日清食品の創業者・安藤百福さんは安藤徳隆さんの祖父にあたります。
安藤徳隆さんの父親・安藤宏基さんも日清食品の社長として活躍していました。
安藤徳隆さんは、学生時代から祖父や父親の経営について議論をしているのを横でずっと聞いており、時には意見を言うこともありました。
経営についての大変さや難しさを間近で見てきたので、アイディアが浮かぶ中『社長になったらチャレンジが出来る!』とそういう意味でのプレッシャーはなかったそうです。

慶應義塾大学大学院を卒業後、社会人第一歩は祖父のカバン持ちからスタート。
食事もお風呂も寝室も一緒で、ずっと仕事の話やどういう思いでやってきたのか、永遠に聞いてました。
3年間カバン持ちを続け、2007年1月5日祖父が倒れ最期まで付き添ったのが安藤徳隆さんでした。
創業者の祖父から学ぶことは今に繋がる大切な時間だったのですね。
安藤徳隆の大学時代はラクロス選手!
安藤徳隆さんは大学時代にラクロスをしており、日本代表として活躍していました。
体育会系の安藤徳隆さんですが、慶應義塾大学大学院で分子生物学を専攻した理系出身でもあります。

安藤徳隆さんは、祖父が設立した『公益財団法人安藤スポーツ・食文化振興財団』の常務理事を2004年6月に務めています。
安藤スポーツ・食文化振興財団とは?
青少年に対するスポーツの指導や普及、奨学金事業、顕彰事業を実施している公益法人。
祖父の安藤百福さんは、少年少女たちの非行などが大きく問題になっていることに心を痛め、「子供たちの健全な心身の育成のためにはスポーツによってあふれるエネルギーを発散させるべきである」と考え、自らの私財を投じて日清食品と協同でこの財団を設立。
安藤百福さん(安藤徳隆さんの祖父)は「スポーツと食事は健康を支える両輪である!!」をモットーとしており、スポーツと食育を通じて、健全な子供たちの育成を応援してきた。
ウキペディア参照
インスタントラーメンなどの開発だけではなく、子供たちの未来を考えた事業なんですね。
ラクロスの日本代表として活躍していた安藤徳隆さんも真摯に向き合えた事業だったのではないでしょうか。
安藤徳隆は社員からの評判が最悪?
安藤徳隆さんといえば、『謎肉祭(なぞにくまつり)』を大ヒットさせたことで一躍話題となりました。
謎肉とは、豚肉と大豆などを混ぜた「味付豚ミンチ」。
この商品名を考えたのが安藤徳隆さん、しかし「イメージが悪い」と社員たちが大反対したのです。
最初の商品名は「ミートショック」でしたが、ネット上で「謎肉」と呼ばれて盛り上がっていました。
味付豚ミンチを大量に入れた商品は『謎肉祭』の方が面白いとなり、社員たちの意見を押し切って『謎肉祭』が販売されることになりました。

『謎肉祭』とインパクトのある商品名は大ヒットし、1ヶ月分が3日で完売してしまい販売が一時休止になったこともあります。
「お客様が楽しんでくれるならいいじゃないか」と安藤徳隆さんの考え方で自由度が上がったそうです。
案件は持ち帰らず、即興的にその場でアイディアをどんどん考え、どんどん決めるのが安藤徳隆さんのやり方。
安藤徳隆さんに「どうしたら面白くなる?」と聞かれた時に宣伝部はすぐに答えられないといけないことが社員にとってはしんどいそうです^^;
『謎肉祭』考案の際は、社員から目の敵だったのかもしれませんが良いきっかけだったのかもしれませんね。
社員からの評判を最悪から最高に一転させた安藤徳隆さんの今後の活躍に期待です。
