リプツヤカニ選手、ザギトワ選手などロシアのフィギュアスケート選手にメダルを獲得させたコーチのエテリ・トゥトベリーゼさん。
エテリ・トゥトベリーゼさん自身競技人生が短かったことはご存知ですか?
また、指導が厳しくて怖いと言われているエテリ・トゥトベリーゼさんは生い立ちと家庭環境が関係していたのではないでしょうか。
選手時代が短かったエテリ・トゥトベリーゼさんの少し悲しいエピソードがありました。
今回はエテリ・トゥトベリーゼさんの生い立ちと貧乏な家庭、選手時代について詳細をお伝えします。
目次
エテリ・トゥトベリーゼの生い立ち!

引用元:本人インスタグラム
エテリ・トゥトベリーゼさんは、1974年2月24日生まれの5人兄弟の末っ子としてソ連時代のモスクワで育ちました。
ジョージア(グルジア)人、アルメニア人、ロシア人の3つの血筋を持っています。
エテリ・トゥトベリーゼさんの生い立ちを簡潔にお伝えしますね。
- 4歳半でフィギュアスケートを始める
- 優秀なフィギュアスケートコーチの教室に入る
- 音楽学校でピアノを専攻し優秀な成績で卒業する
- シングル選手だったが怪我をしてアイスダンスに転向
- 18歳でアメリカに渡り6年間過ごす
- 3年間アイスダンス選手として競技に参加
- アメリカ滞在中にコーチに転身
- 1999年25歳で故郷のモスクワへ帰る
- 2003年からロシア連邦フィギュアスケート連盟モスクワ支部の一員になる
- 2013年から養成学校「サンボ70」のコーチに就任
生い立ち①5人兄弟の末っ子
兄1人、姉3人の5人兄弟の末っ子として育ったエテリ・トゥトベリーゼさん。
兄や姉のお下がりばかり着ていたエテリ・トゥトベリーゼさんは、服の大きさが合わないことがほとんど。
兄のお下がりだと男の子っぽい色ばかりの服でしたが、子供時代は楽しかったそうです。
生い立ち②フィギュアスケートを始めたきっかけ
エテリ・トゥトベリーゼさんがフィギュアスケートを初めて目にしたのは4歳半の頃。
氷の上を優雅に滑る華麗なスケーターたちの軽やかな動きがまるでおとぎ話のように、魔法のように映ったそうです。

スケーターたちが「ひらひら大きな雪みたい」と思ったエテリ・トゥトベリーゼさんは、母親にフィギュアスケートをしたいことを熱弁し説得。
エテリ・トゥトベリーゼさんの意志が固いことがわかった母親は優秀なコーチの教室に入れてくれました。
生い立ち③背中の怪我

競技の練習中に脊椎にヒビが入るといった大きな怪我をしてしまいます。
治療のために母親があらゆる医者に診せてまわり、たくさんの薬も購入し、カルシウム注射も絶えずに行いました。
怪我は完治しましたが、薬の副作用で身長が22センチも伸びてしまったエテリ・トゥトベリーゼさん。
「シングルでの成功は望めない」と考えるようになり、また高身長も理由のひとつでした。
シングル選手からアイスダンス選手に転向することにしました。
生い立ち④コーチに転身
フィギュアスケート選手としても歴が浅いエテリ・トゥトベリーゼさん。
怪我を負ったことや高身長を理由に引退しましたが、次はコーチとして活動します。
アメリカでコーチ経験を積んだ後に、故郷のモスクワへ帰ります。
モスクワでの仕事探しは困難でしたが、スケート場で職を見つけることができました。

2003年からロシア連邦フィギュアスケート連盟モスクワ支部の一員となり、モスクワ市内の小学校で働きます。
2013年から「サンボ70」のコーチに就任。今では世界一の金メダル養成学校と言われるようになったのは、エテリ・トゥトベリーゼさんのおかげ。
メダルに貢献したリプニツカヤ選手を指導したことで、一気にエテリ・トゥトベリーゼさんの名が広がりました。
エテリ・トゥトベリーゼは貧乏な家庭?
エテリ・トゥトベリーゼさんの家庭は裕福ではありませんでしたが、子供たちが困ったりしないように最大限の努力をしてくれた両親。
父親はタクシー運転手、母親は公務員として子供5人を育ててきました。
母親は娘たちには外国語と楽器の演奏をプロレベルに身につけさせたいという考えの方でした。
姉たちはドイツ語と英語の特別学校や絵画のレッスン、楽譜の読み方も習っていました。
エテリ・トゥトベリーゼさんも音楽学校へ通い、ピアノの専攻をして優秀な成績で卒業しています。
子供たちにしっかりと教育をしてきたことがわかりますよね。
しかし、ソ連末期と重なり多くの人たちの稼ぎが少なくなり、生活が苦しい時代でした。
エテリ・トゥトベリーゼさんはスケート大会に出る資金もなくなり、現役選手を諦めなければならない状態でした。
18歳でアメリカに渡ったエテリ・トゥトベリーゼさんは生活費を稼ぐためにモスクワを離れます。
現役選手は辞めましたが、それでもフィギュアスケートとは関わりたいエテリ・トゥトベリーゼさんは、ショー興行「アイス・カベイズ」の一員になります。
給料の一部をモスクワに残る両親へ仕送りしていたといいます。
エテリ・トゥトベリーゼの選手時代のエピソードも

エテリ・トゥトベリーゼさんは、背中に怪我を負ったことと高身長を理由にアイスダンス選手に転向しました。
アイスダンス選手に転向し、5人ほどのコーチがいたもののみっちりと指導が行われることがなかったそうです。
数十組も指導をしていたコーチは、一人ひとりの細かな点まで丁寧に見ることが出来ませんでした。他のコーチはオリンピックに出場する選手につきっきり。
エテリ・トゥトベリーゼさんの成績はソ連国内の選手権でいくつかのメダルを獲っただけで競技人生に幕を閉じます。
コーチに失望し、なんらかの変化が必要だと感じたエテリ・トゥトベリーゼさん。
指導が厳しいと言われているエテリ・トゥトベリーゼさんは、当時のコーチにもっと教わりたかったゆえに厳しく指導しているのかもしれませんね。