独特でデザイン性が高く、低価格の商品が人気のAWESOME STORE(オーサムストア)。
社長の堀口康弘さんがAWESOME STORE(オーサムストア)を立ち上げるまでに衝撃な人生を歩んできました。
裕福な家庭で育った堀口康弘さんですが、挫折を経験したことからホームレス生活をすることとなります。
成功者としての今がありますが、命懸けの仕事をしてまで人生を貫く堀口康弘さんの経歴をたくさんの方に知ってもらいたいと思いました。
今回は堀口康弘さんの経歴と社長に至るまでの経緯をお伝えします。
目次
堀口康弘の経歴まとめ!
独特でデザイン性が高いAWESOME STORE(オーサムストア)は、堀口康弘さんがアメリカにいた頃の世界観を土台にしています。
もともと画家になりたかった堀口康弘さんの経歴が濃厚だったのでまとめました。
【プロフィール】

- 名前:堀口 康弘(ほりぐち やすひろ)
- 生年月日:1955年5月31日
- 出身地:佐賀県

【経歴】
- 佐賀県立佐賀東高等学校卒業
- 国立東京芸術大学を2度受験するも不合格
- 進学・就職せず家器店でアルバイト
- 21歳でアメリカのロサンゼルスへ渡る
- リカーショップで在庫整理のスタッフとして働きのちに店長に昇格
- 永住権を取得するために日本食レストランと寿司店で修行する
- 半年後には飲食店のお店を任される
- 永住権を取得するため日本へ帰国
- 27歳で食器の卸商社のビジネスを始める
- 日本のビジネスに専念するためアメリカの飲食店と永住権を手放す
- 1982年有限会社レプビイハウスを創業
- 1990年社名を株式会社レプハウスへ改名。輸入総合商社として再スタート
- 2014年新業態ブランド AWESOME STORE (オーサムストア)を原宿にオープン
- 2022年創業40周年を機に社名をオーサム株式会社に変更
堀口康弘は裕福家庭からホームレス生活?
堀口康弘さんは裕福な家庭で育ちましたが、家族全員がホームレス生活になるほど貧乏に転落したわけではありません。
ホームレス生活を自らしたのは堀口康弘さんでした。なぜホームレス生活の道を選んだのでしょうか。
堀口康弘さんは、佐賀県出身で5人兄弟の4男坊。
父親は鉄工所の経営者で船を貸し切るなど年に2回は社員旅行をしたり、堀口康弘さんが子供の頃に「堀口」といえば子供でもタクシーに乗れたほど裕福な家庭でした。
堀口康弘さんが小学生に上がってしばらく経った頃に順調だった鉄工所の業績が傾き始め、「大学は申し訳ないが国立しかやれない」と兄たちが父親から言われているのは知っていた堀口康弘さん。
画家を目指していた堀口康弘さんは、日本の芸術系大学の最高峰である国立東京芸術大学しかないと受験に挑みますが2度も失敗してしまいます。
19歳で1番大きな挫折を味わった堀口康弘さんは、何も目的がなく家器店でアルバイトをします。

堀口康弘さん曰く才能があったのか販売実績がものすごく良かった為、1番稼いだ月は100万円。
アルバイトで稼いだお金を持って、仕事終わりは毎日新宿で飲み歩いていました。そんな時に10歳年上の会社経営者の方と出会い仲良くなります。
堀口康弘さんのこれまでの人生やモヤモヤした気持ちを打ち明けました。
「若い時にしかできないことがある。そんな日銭稼ぎの仕事なんて辞めて、人生修業の旅に出ろ」の言葉が堀口康弘さんの心に突き刺さりました。
すぐにでも海外へ行けるお金は持っていましたが、「そんな金は置いていけ」と言われ最新の家電製品を買って使い切り、その家電製品は両親へ全てプレゼントしました。
海外へ行くために、アパートの契約を解除し代々木公園でホームレス生活をスタート。
堀口康弘さんが海外へ行くならアメリカだ!と決めていた理由は、世界で一番経済発展しているからという単純な発想でした。
目標にしていた60万円を貯めて、代々木公園から羽田空港へ。
パスポートとリュック一つでアメリカのロサンゼルスへ向かいます。
ホームレス生活は半年だったという堀口康弘さんですが、自らホームレス生活をすることに衝撃ですね。
仲良くしてくれた会社経営者の知人との出会いが堀口康弘さんを変える運命だったのでしょう^^
堀口康弘の命懸けの仕事とは
アメリカのロサンゼルスに到着した堀口康弘さんは、リカーショップの在庫整理スタッフとして働きますが、かなり治安が悪い地域のお店で常に危険が隣り合わせの仕事でした。
万引き、強盗、喧嘩や暴力事件は日常茶飯事、夜に銃声が聞こえる日が続いたこともあったそうです。
もちろん危険な街で働いていたのですから、堀口康弘さんも危険な目にたくさん遭いました。
- 夜道で拳銃を突きつけられ財布を盗まれる
- 店で万引きした少年を追いかけ振り向きざまにナイフを切りつけられるが、ベルトに刺さり助かった
- 店に恨みを持つチンピラが襲撃してきたが警察に非常ベルで通報したらヘリとパトカー10台が来てチンピラは逮捕&勾留される
そこまでして危険なスラム街で働く理由は、アメリカに永住したいから。

チンピラが襲撃してきた日に警察署で事情聴取をされた堀口康弘さんですが、パスポートを提示したところVISAの有効期限が切れていることが発覚し勾留されることに。
本来ならば、強制送還ですがリカーショップのオーナーが助けてくれたのです。
弁護士を介して永住権を取得するならば、「日本食のコックになること」。
リカーショップのオーナーは危険なリカーショップから飲食店経営に転換することを計画していました。
堀口康弘さんは保釈後すぐに日本食レストランと寿司店で修行をしました。
半年後には日本食のファースト店と寿司店を開店しお店を任される立場となりました。
リカーショップのオーナーは、堀口康弘さんをとても信用していました。堀口康弘さんがお店の物を盗んでいるところをオーナーは見たことがないと店長に昇格させたこともありました。
リカーショップに来た頃は、あまり英語が話せなかった堀口康弘さんですが、英語が覚えられたのはリカーショップのおかげだと言います。
命懸けの仕事でしたが、堀口康弘さんが一日一日を大切に一生懸命働いていたことがわかりましたね。
オーサムストアには、堀口康弘さんのアメリカでの想いや風景がたくさん詰まっていると思うとより楽しくお買い物が出来ますね^^
