徳島市長選で初当選した内藤佐和子さんは歴代最年少の女性市長になりました。
市長に至るまでの内藤佐和子さんの経歴がとても凄いです!
難病と闘って東大生活をしていく中で積極的に活動を行い、現在までのストーリーが感動します。
内藤佐和子さんの経歴が凄い事と難病と闘った東大生活から現在までについて調べました。
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目次
内藤佐和子の経歴が凄い!

- 名前:内藤佐和子(ないとう さわこ)
- 1984年3月徳島県徳島市生まれ
- 一児の母
- 幼稚園:生光学園幼稚園
- 小学校:応神小学校
- 中学・高校:徳島文理中学校、高等学校
(※高校一年時にCeleste High Schoolに一年交換留学をする。) - 大学:東京大学法学部政治コース
- 世界的プレゼンテーションイベント、TED WOMEN初代日本代表。
徳島市きらめく女性大賞第一回大賞受賞。
交換留学先は、アメリカ合衆国テキサス州セレステ市にある公立高校です。
内藤佐和子の経歴が凄い!難病と闘った東大生活
内藤佐和子さんは東大在学時、当時20歳の時に難病にかかりました。
内藤佐和子の難病は『多発性硬化症』
「多発性硬化」(たはつせいこうかしょう)とは、視神経や脳、脊髄といった中枢神経のあらゆる箇所に病変ができる病気です。
内藤佐和子さんは難治性疾患にかかるも、、、
- 積極的にビジネスコンテストに参加して受賞
- ベンシャー起業数社の経営の計画に加わった
- 経済誌が発行するダイヤモンド 者の学生記者クラブの立ち上げに携わる
- 日米学生会議のプレ会議にも参加
難病がありながらも、数々の活動に参加していたことがすごいですね。
内藤佐和子の夢は『弁護士』
実は東大を受験したのは夢だった『弁護士』のためだったのです。
東大在学時に難病を抱えてしまったせいで『弁護士』の夢を諦めました。
のりくん
夢を諦めたとしても、他の活動に切り替えてたくさんのことに携わったことは無駄ではなかったね。
内藤佐和子の経歴が凄い!現在の活動

ちなみに、内藤佐和子さんが徳島市長選挙に候補したきっかけは2つありました。
- 地元の同窓会
同級生たちと「東新町のゲームセンターでプリクラを撮ろう」となって行ったところゲームセンターが無くなっていたそうです。内藤佐和子さんが中学・高校生の時は、駅前や当時あったCITY(シティ)やVIVRE(ビブレ)、東新町で遊んでいたのにいろんなものが無くなっていたことに衝撃を受けました。 - 徳島県との共催
2009年に徳島の課題解決型のコンテスト、徳島徳島活性化コンテストを徳島県と共催したことをきっかけにまちづくり活動に携わるようになり、2010年に帰郷しました。
現在は、、、
- 四国放送『ゴジカル』月曜日コメンテーター
- 県や市の審議会の各種委員を歴任
- 株式会社応神鉄鋼の役員を勤める傍ら、中小企業庁のミラサポ専門家派遣で中小企業や商店街の企画やPR、販促支援などを行う。
- 学校や大学への主権者教育やSDGs教育も行う
- 県の社会教育委員や阿波市の図書館アドバイザーも勤める
- 徳島大学工学部機械工学科に再入学(2020年時点で休学中)
のりくん
生まれ育った地元は誰しもが思い深い気持ちがあると思います。内藤佐和子さんがこれまでに積み上げてきたものが、更に発揮されるのですね。
まとめ
内藤佐和子さんの経歴が凄いだけではなく、一人間として尊敬するところがたくさんありましたね。
難しい単語ばかりが出てきましたが、活動していく中で肌で感じ取った事を今に活かすために取り組んでいるのだなと思いました。
徳島県が生まれ変わるように応援しましょう。
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