サントリーホールディングスの社長・新浪剛史さんの学歴が驚きです。
中学生時代はあまり勉強しなかったのに、部活に入ったことで規則正しい生活になり勉強の集中力も上がり、偏差値75のトップ校に進学。
また、ハーバード大学の留学経験のある新浪剛史さんですが、留学するまでと留学してからの経緯が相当大変でした。
今回は新浪剛史さんの学歴と出身校の偏差値、ハーバード大学へ留学していたことについて詳細をお伝えします。
目次
新浪剛史の学歴まとめ!

新浪剛史さんは、1959年1月30日生まれの神奈川県出身。
学歴は留学経験もあるほど充実した学生時代だったといいます。
- 横浜市立松本中学校
- 横浜翠嵐高等学校
- 慶應義塾大学経済学部
- スタンフォード大学留学(1年間)
- ハーバード大学経営大学院修了
中学時代
新浪剛史さんの中学時代は、遅くまでテレビを見たりして、朝はギリギリに学校についたり遅刻したりすることが多かったそうです。
担任の先生に親が呼び出しされるほどひどかったといいます。
母親は「1番厳しい部活は何か」と考えたのがバスケットボールで途中から入部することになりました。
バスケットボールが好きだったわけではない新浪剛史さんでしたが、おかげで規則正しい生活になりました。
もともと運動神経が良かったこともあり、2年生の後半にはレギュラーに選ばれるほど成長しました。
高校時代

新浪剛史さんは、高校でもバスケットボール部に入部しました。
県でも1番か2番と新浪剛史さんの代が強く、関東大会3位になったこともあります。
新浪剛史さんのチームは、みんな背が高いほうではなかったそうですが、体力と走る力、跳躍力が強みでした。
高校1年生の時は、腕を骨折したり、膝の手術を4回を受けたりとよく怪我もしていました。
エリート校でスポーツ万能だった新浪剛史さんは、たくさんの大学でからバスケットボール部に誘われましたが、高校でバスケットボールを辞めることにしました。
大学時代
大学時代は、器械体操のマネージャーをしていた新浪剛史さん。
怪我もよくしていたので、バスケットボールはもういいやと思い器械体操のマネージャーになりましたが、『自分は規律のなかにいないとダメだな』と思い直して体育会的な組織に入ろうと考え、器械体操のマネージャーになりました。
今までプレイヤーとしてバスケットボールをしていた新浪剛史さんは、裏方の支えがとても大切であることに気がついたのです。
裏方の支えがあるからこそ選手がうまくプレーすることが出来ているということ。
器械体操のマネージャーの役割としては、
- 先輩からお金を集めて合宿をする
- 各部の体育本部会議に参加する
など、マネージャーのような人たちがいろいろやっていてくれたんだなと痛感したそうです。
選手としての役割と裏方としての役割を経験したことが今に繋がっているとのこと。
新浪剛史の出身高校は偏差値75!

新浪剛史さんは、横浜翠嵐(すいらん)高等学校に進学。
偏差値は75と神奈川県内のトップ校です。
新浪剛史さんが横浜翠嵐高等学校に進学した理由は、家から徒歩3分のところにあるからです。
小学校から出来の悪い奴と言われていた新浪剛史さんが、横浜翠嵐高等学校に合格したことを聞いた小学校の先生は驚きを隠せなかったとか。
新浪剛史は ハーバード大学に留学経験も
新浪剛史さんは慶應義塾大学経済学部を卒業後、三菱商事へ入社。
三菱商事に入社した理由は、留学制度があるからです。
ハーバード大学へ留学をしたいと社内選考試験を受けるも2回連続で落ちてしまいました。
三菱商事を辞めて、ハーバード大学に留学しようと自身で出願を送ったところ合格。
合格通知が来る前に、3回目の社内選考試験も合格。
結局、会社を辞めずにハーバード大学へ留学しました。
ハーバード大学へ行くまでも大変でしたが、入学してからも相当大変だったそうです。
- 1日8時間は勉強、睡眠3〜4時間
- 授業中にいかに積極的に中身のある発言をするかで成績が半分決まる
- 1回の授業で教授に指名され発言ができるのは90人中30人
- 相対評価で順位が下になれば強制退学させられる
新谷剛史さんは、「もっと僕を指してください」と直談判することもあったそうです。
血尿になる程ストレスを抱えながら、勉強に励んでいた新浪剛史さんですが3、4ヶ月経った頃にはクラスメイトの会話が完璧に聞き取れるようになりました。
1年目で頑張った甲斐があり、上位10%に入るほど良い成績を残すことが出来た新浪剛史さんは人生で1番勉強したと言います。
留学経験で学んだことが新浪武さんの人生に繋がっていったのですね。