「おっさんずラブ」で大ブレイクした俳優の田中圭さん。
遅咲きブレイク俳優と言われていますが、ここまで諦めずに俳優活動をしていたのは母親の支えだったことを語っていました。
父親は社長と裕福な家庭で育ちましたが、両親の離婚と妹を幼くして亡くしてしまった過去があります。
支えであった母親も癌の病気で亡くなったことを明かしていました。
今回は、田中圭さんの生い立ちについてまとめましたので詳しくお伝えします。
目次
田中圭の生い立ちまとめ!
遅咲きブレイク俳優として、芸歴19年目で大ブレイクした田中圭さん。
遅咲きだったとはいえ、諦めずに俳優活動を続けてきた理由が『家族』でした。
田中圭さんの生い立ちをまとめたのでご紹介しますね。
小学生時代のエピソード

田中圭さんは、東京都江東区亀戸出身。
バスケットボールが好きな母親の影響で小学校1年生からバスケットボールを始めました。
小学4年生の頃には、6年生に交じり全国大会優勝の経験があります。
小学生の頃からバスケットボールに打ち込んでいたので、高校受験でバスケットボールが出来なくなることを避けるために、中高一貫校に進学しました。
中学生時代のエピソード
田中圭さんは、渋谷教育学園幕張中学校に進学。
偏差値78の難関中学校。
渋谷教育学園幕張中学校を選んだ理由は、東大に進学することを目指して難関中学校に進学しました。
もう一つの理由は、先ほどもお伝えしたバスケットボールを続けるためです。
中高一貫校なので、受験はなくバスケットボールに打ち込めるため猛勉強して合格を果たしました。
しかし、中学3年生の頃に両足の膝を怪我してしまい、1年間バスケットボールが出来なくなってしまい退部しました。
高校時代のエピソード
田中圭さんは15歳の時に母親が応募した俳優オーディションを受けました。
足の怪我でバスケットボールが出来なくなり、遊び始めた頃に「お小遣いあげるから行ってこい」と母親に言われオーディションに参加。

「目標が無くなっちゃった僕を、母親が見かねてというか。みんな夢に向かって来る人が多いじゃないですか、オーディションって。そういうのに1回刺激受けてきなさいっていうので、『5000円お小遣いあげるから行ってこい』って言って」
引用:excite
結果は、落選しましたが現在の事務所トライストーン・エンタテイメントにスカウトされ芸能界入りをしました。
高校3年間、同じ彼女と交際していた田中圭さんですが、芸能界に入ったことで振られてしまったそうです。
彼女は芸能界に入った田中圭さんを応援するために振ったのか、芸能人の彼女となると周りの目も変わるのではないかといろいろと考えて別れを告げたのかもしれませんね。
田中圭の父親は社長で裕福家庭だった!
田中圭さんの父親は社長だったことを24時間テレビで打ち明けていました。
具体的に何の職業の社長だったのか、多くは語られていませんが裕福な家庭だったことは明らかになっています。
田中圭さんは幼稚園時代からたくさんの習い事をしていました。
野球、水泳、習字、ピアノも習っており、幼稚園ではバイオリンが必修だったそうです。

習い事をするにはお金もかかりますので、社長である田中圭さんの父親は仕事に成功し稼がれていたのではないでしょうか。
田中圭さんは難関中高一貫校に進学したので父親はしっかりと教育費を払っていたのでしょう。
父親のことは覚えていないそうで、社長だけあって仕事が忙しかったのかもしれませんね。
田中圭の母親と妹は癌の病気?
田中圭さんの母親は2018年に癌で65歳にしてこの世を去っています。
また、田中圭さんが5歳の時に妹が病気で亡くなっています。
妹は何の病気だったのかは語られていません。
母親は癌の闘病であっても、びっくりするぐらい諦めなかった人だったそうです。
田中圭さんの母親はとにかく喋る方で監督やプロの方にダメ出しをするぐらいの勢いのある母親。
妹が亡くなり、両親は離婚したことによって田中圭さんと母親は二人三脚で過ごしてきた仲だと言います。
田中圭さんの携帯電話をチェックするぐらい干渉していたので喧嘩をすることもありましたが、母親から愛されていた自覚があると言います。
コメディが大好きだった母親は、田中圭さんが大ブレイクした「おっさんずラブ」を見ることなく天国へ旅立ちました。